2021.07.08

働く

東京都世田谷区で井戸掘り!?農業男子、 苅部さんってどんな人?

世田谷区の住宅街にある畑で年間60~70種類の野菜を無農薬で栽培する苅部嘉也(かりべよしや)さん。わずか10分ほどで完売してしまうこともあるという、採りたて野菜を栽培する苅部さんに会いたくて、畑におじゃましました。



アパレル業界から転身。40歳で“はじめての農業”

苅部嘉也さんは、苅部農園16代目!アパレル業界で20年勤めたのち、40歳で妻の実家である苅部農園を継ぎました。



年間60~70種類の野菜を無農薬で栽培しています。

世田谷の農地を残したいという想い

アパレル業界から農業へ。まさに“畑違い”の転身。江戸時代から続く家業を継ぐことにたいして、やっぱり重圧や葛藤があったのでは?

「いえいえ! 誰からも“農業を継いでほしい”とは一切言われませんでした。就農の決心をしたのは、義父が体調を崩したことがきっかけ。わたしも世田谷育ちなので、この土地に代々続く農地を守りたいと思ったのです」(苅部さん)



「ちなみに無農薬栽培なので、害虫を見つけたらピンセットで一匹ずつ除きます」(苅部さん)

開墾、井戸掘りもこなすタフガイ、苅部さん!

2011年に就農しましたが、農業経験は正真正銘のゼロ。2012年には義父が亡くなり、相続によって農地も半分以下になってしまいました。

しかし、苅部さんは諦めません。放置され、荒れはてていた農地の栗や梅の木をひとりで掘り出し、1500㎡ほどを整備!井戸も手作業で掘りました。



「このへんの古い家はみな井戸があるので、掘れば水が出るんじゃないかと半信半疑で……。井戸の掘り方は、インターネットで調べました。10m近く掘ったところで、本当に水が出たときはうれしかったですね」(苅部さん)

わずか10分で完売する“幻の野菜直売所”



道路に面した畑の一角に野菜の直売所もつくりましたが、当初は知識と経験不足からあまり野菜が収穫できず、お客さんもほとんど来ませんでした。野菜の栽培はやはりインターネットで検索し、ほとんど独学だったと振り返ります。



畑の様子が変わったのは、2015年頃から。少しずつ努力が実り、安定して無農薬野菜が収穫できるようになりました。すると、苅部農園に変化が訪れました。



「直売所にだんだんと人が来てくれるようになり、うちの野菜を使いたいと言ってくれるレストランもでてくるようになりました。現在はレストラン8割、直売所2割ですべての野菜を売りきっています」(苅部さん)

苅部農園の直売所は、毎朝8時にオープン。しかし、オープン前から行列ができ、どっさり並べた野菜がわずか10分で売り切れてしまうことも。早朝以外はほとんど野菜を見かけない、いまや“幻の野菜直売所”です。

畑はお客さんに囲まれた“野菜売り場”

苅部さんが無農薬栽培を選んだ理由は、すぐ隣に住宅のリビングや通学路があるから。肥料散布も早朝4時ごろにし、風で舞って洗濯物に付着しないように注意するなど、住宅地ならではの農業を心がけています。

「住宅地であることのメリットは消費者に囲まれているということ。いわばスーパーの中に畑と野菜売り場があるようなものです。畑や野菜の見せ方などはアパレル時代の経験がちょっと生きているかも、と思います」(苅部さん)



保育園児とサツマイモを育てるなど、地域の方に喜んでもらえる農業を志しているという苅部さん。そんなやさしくてちょっぴり照れ屋、ダンディな苅部さんの魅力にハマりそうです!

苅部農園

16代目 苅部嘉也さん

東京・世田谷区出身。約20年、アパレル業界で勤めたのち、妻の実家の苅部農園を継いで就農。一男(小3)の父。世田谷区の住宅街にある15アールの畑で、年間60~70種類の野菜を無農薬で栽培し、畑に併設する直売所には、毎朝8時のオープン前から行列ができる。採りたて野菜がわずか10分ほどで完売することも。

写真/石塚修平 取材協力/JA世田谷目黒・JA東京中央会

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