新潟県で希少な国産アボカドを栽培し、テレビなどのメディアにもたびたび登場している関根邦仁さん。今や国産アボカド栽培の第一人者とも言える若手農家のホープですが、実は、元ビジュアル系バンドのボーカリストという、異色の経歴の持ち主。そんな関根さんが、自給率1%未満という希少な国産アボカドの栽培に挑んだワケに迫ります!【アボカド新常識】えっ、スーパーでは「緑色」を買うのが正解!?おいしいアボカドの選び方【農家直伝】あえて雪国・新潟でアボカドを栽培!?越後平野の内陸部、信濃川と中ノ口川に挟まれた場所に位置する新潟市白根地区。2つの川によって堆積した肥沃な土壌に恵まれ、古くから稲作や果樹栽培が盛んな地域です。
冬は雪に覆われるこの地でアボカドを栽培し、注目を集めているのが「せきね農園」の9代目、関根邦仁さん
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ビニールハウスで栽培する「雪国アボカド」が脚光を浴び、テレビなどのメディアにたびたび登場していますが、前職は、ビジュアル系バンドのボーカリストという、異色の経歴の持ち主なんです。
いったいどんな経緯で、バンドマンからアボカド農家へと転身を遂げたのでしょうか?
ビジュアル系バンドのボーカリストからなぜ農家に?歴史ある農家の長男として生まれた関根さん。幼い頃から、両親に農家を継ぐよう言われて育てられたといいます。
そうしたことへの反発もあり、高校生の時、仲間と共にバンドを結成。高校卒業後、東京の大学に進学しましたが、本格的にバンド活動をするために、すぐに中退したそうです。
「父に大学を辞めると話した時は、反対されました。認めてもらう代わりにした約束が、”バンドを辞めた時は農家を継ぐ”というものでした」(関根さん)
関根さんはOZ(オズ)というインディーズバンドのボーカリスト、Natsukiとして精力的に活動。いくつもの楽曲を世に送りだし、多くのファンを沸かせましたが、2013年、31歳の時にバンドを解散しました。
バンド時代の関根さん。写真右手前(写真提供/LOOP ASH)「解散の理由は、自分たちの集大成ともいえるアルバムが作れたことです。やりたかった音楽をすべて出し切れた、やり切ったという感じでしょうか。他のメンバーも同じ気持ちで、自然と解散という形になりました」(関根さん)
その後、父との約束を果たすべく、新潟の実家に戻ったといいます。
「当時は、まだ農業がやりたかったわけではありませんでした。ただ、約束したからには守らなきゃな、という気持ちでしたね」(関根さん)
家族が農作業をする姿を見たことはあるものの、農業について何も知らなかった関根さん。
「最初はただひたすら、父に言われたことをやるだけでした。うちの農園では以前から桃、米、ひらたけを栽培しているのですが、桃の畑に行け、と言われたら行って、草刈りしろと言われたらして」(関根さん)
当時は農業に対して、やりがいを感じられずにいたといいます。